『図書館の魔女』の造本と書体について

このエントリでは『図書館の魔女』の書物としての物質的な側面に触れたいと思います。まったく自己満足的な記事ですが、愛書家の皆様、しばしお付き合い下さい。【2014/03/06 追記:初版に見られた造本不備の問題を解決しました。別エントリ参照

すでに拙著をお手にとられた方のなかからも声があがっていますが、たいへん美しい本に仕上がっております。現物をようやく手に取り、著者も欣喜雀躍してやみません。重みといい、手触りといい、色合いといい、美麗きわまり、格調が高い。かたちある書物ならではの後光が射しています。願わくは本書の内容が、装幀に実現されているほどの美学に適うものであればいいのですが……

装幀はミルキィ・イソベさん

装幀、組版ほか、アート・ディレクションは高名な装幀家ミルキィ・イソベさんの手になるものです。装幀担当者の候補を幾人か挙げていただいたなかで、私がすぐさま飛びついたのがミルキィ・イソベさんでした。私はもともとフランス文学あがりですから、ペヨトル工房のものをはじめ、氏の手になる書物にははじめから心酔していたのです。

それにしても本書は感動的なまでの仕上がりです。

まだ装幀家の選定が済んでいない段階でこちらから出した初めの希望は「絵を使わない」というものでした。これに対して編集部から出たアイディアが「ならば地紋に凝る」というもので、我が意を得たりとその線で進めていただいたのです。

ミルキィ・イソベさんが装幀を引き受けて下さってからは、こちらからの願望としては「ペルシャ絨毯みたいな……」とか「アラベスク装幀」とか、断片的なイメージをお伝えしたに留まります。それなのに見事に当方の意図を汲んでいただき、しかも予想を遥かに越えた美麗なデザイン(そして質感!)を実現して下さいました。帯の配色、配置、下地の透け具合に到るまで入念に美学の凝らされた玄人のお仕事ですね。

なにしろ手触りがいい。

所有欲を掻き立てられる悩ましい本になりました。

アルハンブラ宮殿の壁

カバーの地紋は詳細を伺ってはいないのですが、見たところスペインはグラナダ、アルハンブラ宮殿の壁面ですね。El Patio de los Leones「ライオンの庭園」の壁面の写真を加工して地紋に彫り込んであると見えます。

アルハンブラ宮殿、ライオンの庭園のエントランス伽藍——下のサイトに全貌を見られるものを発見しました。ページ後半の「中庭(のライオンの噴水)が工事中でださい木の柵で囲われていた」などとキャプションの付いている写真がそれです。

http://www.scherminator.com/spain/granada/Abencerrajes/Abencerrajes.html

アラベスク文様を表紙に配するというのは割によくある装幀史上のクリシェなのです(それをアラベスク装幀と呼びます)が、ミルキィ・イソベさんは単にそれに従うのは良しとなさらなかったのですね。提示された着想、初期デザイン案には脱帽して、小躍りしました。ラフが上がってきた段階で「こう来たか!」という感じでした。それから色調、階調、こまかなデザイン上の工夫が試し版を重ねるたびに調整されていって現物のデザインに仕上がります。見るたびごとに工夫が重ねられて、デザインの各パーツが溶け合っていくさまを、実地に追うことが出来ました。これはそのつど胸が躍りました。いや、玄人の仕事ってすごいですよ。これで充分美しいだろう、満足だ、とこちらが思っているものが、さらに手が入って良くなっていくわけですから。

しかも上巻と下巻の色調の違いがまた上品で洒脱です。

タイトルロゴ

タイトルロゴがいかにも美しい。私はあまりタイトルに凝るむきではなく、何気なく着けてしまった書名でしたが、このロゴで見た時に「むむっ、なかなかいいタイトルをつけてしまったな」と我が事ながらほくそ笑んでしまいました。

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書体は何でしょうか、タイプフェイスはひとめ筆文字、楷書の系統です。

特に目を引くのは(1)まず「女」の起筆がぐっと長い。(2)「魔」の广の第三画が離れる。(3)「図」の第二画が下に強く延び、収筆と重なって右下の角が尖る。(4)「館」の「食へん」の傘の下、「官」の第一画、いずれも点ではなく棒で下に着く。

いずれも楷書体の中ではかなり顕著な特徴です。これに似たものは少ない。モリサワの欧体楷書と見ました。

モリサワ欧体楷書紹介(リンク)フォントサンプルの PDF(リンク

フォント名の「欧体」というのは「欧文」のことではなく、人名からきた名前です。上掲モリサワ紹介頁によれば:

中国の唐の時代に楷書の名筆として知られた欧陽詢の書に倣い、その特徴である端麗な風姿をよみがえらせた楷書体です。

とのこと。拙著下巻では物語世界に名だたる能筆家が登場する場面があります、それを思えば実に心憎い心配りですね。このタイトルロゴも欧陽詢を臨模した「その登場人物の筆」なのではないでしょうか?

フォント紹介サイト(リンク)から、「図書館の魔女」と見本をタイプしてみました。

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やはり基本的にこれでしょう。特に「魔」と「女」の形は他に見ないものです。しかし、わずかに重ならない部分がある。とりわけ「書」の下の「日」の部品と、「館」のつくりの最後の「口」の部品には大きな違いがあります。本書表紙で用いられた書体では、くだんの両者とも下が狭まったような形で、明らかに手が入っています。フォントを合成したのか、あるいは欧体楷書をベースにロゴデザインを調整したのか……? 直接うかがってみる前にもう少し悩んでみようと思っています。

UV コーティングってなんだ?

特筆すべきは、このロゴデザインの立体感です。高級な将棋の駒に言うところの「盛り上げ」ですね。本書を手になさったかたは、たれもお気付きになったでしょう、お触りになったことでしょう!

担当編集氏から説明をうけた限りでは、これは UV コーティングという特殊加工がほどこされたもので、一種の焼き付け塗装だそうです。特殊インキを紫外線照射によって硬化させるとのことで、工程も複雑ならば、納期もかかる、コストも見合い、といった奢った仕様になっております。

大日本印刷の技術の粋。この部分の「色校」の調整には著者はいっさい係ってはいませんが、かなりの苦労があったと聞かされています。

よく見ると品のあるラメが散っていて、端正な居ずまいのなかに密かな奢侈が隠されています。お手持ちの方は光を照らしてご覧になってみてください。

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このUV コーティング は背表紙にも用いられています。

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こうした贅沢な仕様はいずれもミルキィ・イソベさんからのご提案。拙著に寄せる氏のこだわりにあらためて感謝を申し述べたい。

目次と章タイトルの書体

これは組版時にデザイン班から指定があがっていたのを目にしました。書体はモリサワのいわゆる秀英体です。日本における出版史上、タイトル、見出しに明治期から頻用されてきた歴史ある書体です。大日本印刷の前身にあたる、明治9年(1876年)創立の「秀英社」のものであった活字書体を現在に蘇らせた「秀英初号明朝」(見本にリンク)、これが目次および章タイトルに繰り返し用いられています。つまりこれは、日本印刷史にかつて定評のあった古くて新しい書体。

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さらにこの秀英初号明朝にあわせ、数字・欧文部分には合成フォントとして、アドービの Gramond Premier Pro (見本にリンク)が併用されています!

なにが「!」なのかというと……この選択がまた気が利いている。というのも……少し長い話になりますが説明します。

1530 Garamond に哀悼

私は原稿作成時に、欧文には基本的に Times しか使いません。それは古典ギリシャ語の「アクセント記号、気息記号、下書きイオタ」や、ラテン語の韻律分析に用いる「長音記号、短音記号」、さらには「発音記号」や「文献学的合字」などをもれなく具備して、それでいてプラットフォーム間の移行に不安のないフォントの代表が Times だからです(サンセリフ系なら Arial でしょうか、ただ私は Helvetica の方が好みです)。つまり文字種を手広く持っていて「文字化けしない安全なフォント」という判断があります。おなじ理由により和文では写研系の「ヒラギノ」一本やりです。

少し前ならリュウミンライトと中ゴチBBB——もう「長いものには巻かれろ」という姿勢に過ぎませんが。

Times もヒラギノも、それぞれ美しいフォントであることに加えて、多言語併用 multilinguisme の利便において信頼のおける書体であるという「要請」があってのことです。字体というよりはむしろ「文字コード」の問題に近い部分で、選択せざるを得ないというのが実情でしょうか。もっともヒラギノの字体には、一定の評価を持っています。というか単純に綺麗だなと。

しかし欧文で現代語だけでタイプできる時には……隙を見て使いたがる、つとに愛するフォントがあるのです。その名は “1530 Garamond”。バンクーバーのフォント・ファクトリー Tiro typeworks の手になるトゥルー・タイプのフォントです。(見本にリンク

Garamond というのはフォントの名前としては知られたものです。お手持ちのコンピュータにもいくつかは Garamond 系のフォントは入っているものでしょう。しかし “1530 Garamond” とは?

この 1530 という部分でピンと来た方は多いのではないでしょうか。これは年号 1530年の謂です。活版印刷の揺籃期を過ぎ、十六世紀中庸にクロード・ガラモンによって完成をみたセリフ系活字の代表格とも言える書体があります。Garamond 系フォントの元祖となる、実際の活版に用いられていた書体です。それを上に触れた Tiro typeworks が、実際の活字印字を詳細に分析して忠実に復刻した書体、それが “1530 Garamond” なのです。

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なにしろ紙面に刻印された印字の分析から始まった復刻ですから、このフォントは、端正でバランスのとれたエレガントな字形そのものばかりではなく、エッジの鈍(なま)り、凹画の引(ひ)けに到るまで、歴史的な初期活版印刷の版面に「印字されたとおりに」忠実に再現しているものでした。このフォントを大きく表示していくと「活字の減り」までが再現されていることが判る……という凝りっぷりなのです。

この上さらに特筆すべきは同フォントのイタリック体の流麗さです。

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ウィンドウズ系のワードプロセッサーをはじめ、単にローマン体を斜めに傾けただけのものを「イタリック」と僭称した類いを見るにつけ「イタリックというのは、そういうもんじゃないんだよ!」と憤りを発しているのは、私事にわたりますが遺憾とすべき事実であります。

ところがこの端倪すべからざる 1530 Garamond は目下 discontinued つまり販売を止めているのです。販売元の Tiro typeworks はライセンシー管理の厳しいメイカーで有名だった。そこでこのフォントを商用出版物を含め使用したいと考えていた私は直接に上のフォントメイカーに掛け合ったのですが、ライセンスを再販売する予定はないとのことでした。

その際に「上位互換とも言えるフォントとして Adobe の Garamond Premier Pro があるからそれを使えばいい」というのが先方の仰せだったのでした。したがって私は 1530 Garamond の事実上の後継者たる Garamond Premier Pro には格別の思い入れがあったのです。

本文メインは筑紫明朝

最も重要な本文の文字組みは「筑紫明朝Rと Arno Pro の合成フォント」で和文は筑紫明朝R、欧文は Arno というバランシングになっています。

筑紫明朝は福岡のフォントワークス社のフラッグシップとも言えるフォント。デザイナー藤田重信氏の文字に対するこだわりは斯界につとに知られる一事です。(藤田氏の呟きまとめリンク

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筑紫明朝(サンプルにリンク

Arno Pro(サンプルにリンク

伝統とモデルニテをふたつながら体現する、美しさが言葉の意味の背後に隠れてくれる優れたフォントです。しかし書体の美しさが「読みやすさ」、すなわちどこまでも姿を消して、言葉の、意味の、物語の背後に隠れることに寄与するというのはなんたる背理でしょうか。

人が文字を読み、言葉を読み、意味を読み、物語を読み始めるとき、そもそもの素材となっていたはずの文字そのものは消えていくのです。言葉そのものは消えていくのです。「消える」と言って語弊があるなら、「見えなくなる」のが使命なのです。一つひとつの文字、言葉は、そこで読者を立ち止まらせないことを至上の命令として、意識されないことを至上の使命としているかのようです。

私が自分の物語を一字いちじ書きついでいたときに、その用いた一字いちじを紙面上に丁寧に配列していた、デザインしていた、削り出していた「職人」がいたことに慄然たる思いがします。私がどの一文も忽せにしまいと書いていたように、どの一文字も忽せにはすまいと手をかけていた人たちがいたということです。そして、そうした努力の至高の結実は「見えなくなる」ことだというのは、言ってみれば面白いことだと思います。

ちょっと深いテーマに触れてしまったので、このエントリは締めくくっておきますが、思えば言語そのものは「見えなく」なってはじめて役に立つものであり、言語学とはこの「見えなくなる」ことをめぐって思考を重ねてきたのだといえるかもしれません。

物語もそうです、どういう言葉で書かれているかなど読者が気にしなくなったときにこそ、物語そのものが動き始めるのかも知れない。

しかし言葉そのもの、書体そのもの、ことによったら紙や手触りや嵩(かさ)そのものすら、愛書家の観賞の対象になるのは当然です。ふと、読者が物語を追うのを休んで、語や書体やレイアウトにすら、あらためて美学を感得することが出来るとしたならば、それは読者にとっても、ひとつの書物にもとって幸福なことでしょう。

多くのアルティザンの手によって、拙著がかかる幸福な書物のひとつとなりえたことを寿ぎ、感謝を述べるのがこのエントリの目的でした。

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